今回の

ストーリーのキーマン
ふぐ名人

兵庫県在住。投げ釣りのスペシャリストで現在ではYouTuberとしても活動。ダーツ”が当たったところに釣りに行く”ダーツの釣り”を展開され、今回の徳之島に行ったことが全ての物語の始まり。ふぐ名人さんのダーツは多くのフライフィッシャーを射止めた。
ふぐ名人さんのYouTubeチャンネル
フライフィッシャー諸氏はボーンフィッシュ発見のお礼に
チャンネル登録必至!


夷谷元宏
Motohiro Ebisudani

旅行代理店トラウトアンドキング勤務。ツアーの添乗員として世界中を釣り歩くが、同時に日本でボーンフィッシュを探し続けてもいた。四半世紀近くを費やし、2023年5月、ついにトロフィーを手にした。
トラウトアンドキングホームページ
2023年7月の徳之島探釣

夷谷元宏
Motohiro Ebisudani
旅行代理店トラウトアンドキング勤務。ツアーの添乗員として世界中を釣り歩くが、同時に日本でボーンフィッシュを探し続けてもいた。四半世紀近くを費やし、2023年5月、ついにトロフィーを手にした。
田中慎吾
Shingo Tanaka
故・西山徹さんに憧れクリスマス島も忠類川へも足を運んだ。2023年10月、夷谷さんと夢を実現させた。海だけではなく渓流にも足繁く通い、イワナの特殊斑紋を探すことを生き甲斐とする。


岡野伸行
Nobuyuki Okano
幼少期から鮎釣り、フライフィッシングと言った面倒臭い釣りを覚え釣りは一通りなんでもやる。北里大学水産学部で釣り三昧な学生生活を送り、株式会社釣りビジョンに入社後はひたすらに釣り番組を作る日々。そして2023年に独立しH.I.T. FILMS戸締り役社長。
2023年10月の徳之島探釣
阪東幸成
Yukinari Bando
2018年に大手機械メーカーを定年退職後にふらい人書房を立ち上げたエッセイスト・写真家。今回はLIFE IS FLYFISHINGの取材で岡野に密着。4日間岡野に振り回され、その努力も徒労に終わるかと思ったが、それが一躍”ニッポンで初めてボーンフィッシュのキャッチシーンを撮った 人”となる。


石川寛樹
Hiroki Ishikawa
日本が誇るロッドメーカー株式会社カムパネラ代表。岡野とは毎年のように南の島遠征に行くが、住まいが東北ということもあり日本の南の島は外国よりも時間がか かることが悩みのたねだとか。岡野にいつも無理難題のロッド制作を押し付けられている。
カムパネラ社ホームページ

久保浩一
Kouichi Kubo
ソルトウォータールアー、特にジギングの世界では知らぬものはいない存在。フライフィッシングの歴史も深く、故・西山徹さんと親交があり、ともにクリスマス島へ行った経験もある。岡野の前職時代に白衣のつながりがあり、南の島遠征に同行するようになる。旅の笑いを全般 的に任され、メンバーのメンタルを常に良好に保つ役割を担う。ルアーの人でもフライの人でもなく、ただの猛烈に釣りが好きなおじさん。


野中一成
Kazunari Nonaka
久保さんの釣友。サーフィン界では有名な方で、釣りの方もGTを中心に数々の大物をキャッチしてき たエキスパート。フライフィッシングは”やりたかった釣り”として現在精進中。メンバーの中ではある意味で”最も釣りが楽しい時期”を送る。
岡野伸行
Nobuyuki Okano
幼少期から鮎釣り、フライフィッシングと言った面倒臭い釣りを覚え釣りは一通りなんでもやる。北里大学水産学部で釣り三昧な学生生活を送り、株式会社釣りビジョンに入社後はひたすらに釣り番組を作る日々。そして2023年に独立しH.I.T. FILMS戸締り役社長。


舞台は、奄美群島・徳之島
解説:岡野伸行/H.I.T. FILMS
2023年5月、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
釣り専門旅行代理店・トラウト&キングの夷谷氏が
日本で
”ボーンフィッシュ”を
”フライ”で
釣った。
居ても立ってもいられなくなった私は
すぐさま情報を取り
その島に向かう準備をした。
そして出発までの間
このニュースに関わった人たちに会い
話を聞いた。
一つのカルチャーが築かれていく過程を
映像に遺したいと思った。


2023年5月。
夷谷さんと、この3人のフライフィッシャーが、徳之島の地を踏んだ。
左から斉藤喜一郎さん、戸田弘志さん、武藤明さん
何を、どこから手をつけていくか?
”ニッポンでボーンフィッシュを”と言うテーマは途方も無い無理ゲーだ。
しかし、こう言った類の課題は、ちょっとしたきっかけで一気に視界が開けることがあるものだ。
そしてそこには”型にハマらない” ”自らのこだわりを捨てる”と言ったマインドが大切となり、それを実践する”はみ出す”勇気を持った人間だけが答えを得られる。
ある意味では釣りのテクニックや蘊蓄よりも、遥かに大切な要素なのだ。
私は長年、釣り番組の制作を通して釣りの移り変わりを目撃してきた。
”アジング”
”メバリング”
”アラバマリグ”
”ビッグベイト”
”タイラバ”
”インチク”
”ティップラン”
etc
今では当たり前にある釣法が生まれてくる現場を見てきたが、やはりそこには必ず”型にハマらない”人たちの存在があった。
とは言え、伝統を重んじ”型”を大切にすることの大切さも理解しているつもりだ。
中二病の成れの果て
フライフィッシングは、とかく”型”を大切する釣りだ。
自ら作った枠の中でどこまでを”フライフィッシング”として許容できるか。
全ての人が同じルールの中で行うI.G.F.A的な考え方は、当然のように素晴らしい。
常に三人称を意識した考え方に基づき、一定のルールを設けることで他人の魚の価値が鮮明になる。
実に合理的かつ科学的だ。
しかし一方で、釣りは”趣味”と言う枠を越えない以上”どう遊ぼう”が自由でもある。
アメリカなどに比べると捉えようによっては日本の方が、釣りに関しては遥かに自由だと私は思っているのだが、同調圧力を”ある意味”では重んじる日本の社会の中では、いささか”はみ出す勇気”のリスクが大きく感じてしまうもの。
”はみ出す”人は一般社会の中にも一定数存在し釣りの世界でもそれは同じだ。
そしてそんな人たちがエポックメイクを起こしていくことは、人類史が証明している。
そもそもの話”ルアーフィッシング” ”フライフィッシング”と言うくくりですらいつかの時代の”はみ出した人”が生み出したものだと私は思う。
本作に出てくる釣り人は程度の差こそあれ”はみ出した”者ばかりだ。
とても俗な言い方をすれば”中二病の成れの果て”であり末期症状。
しかし全国の中学二年生には自信を持って欲しい。
今の感性を忘れずに生きていけば、ハッピーな未来が待っている。
ここに出ているハッピーおじさんたちの笑顔が、なによりそれを証明している。

はみ出し具合の妙
ボーンフィッシュと言えば
ソルトウォーターフライフィッシングの象徴だ。
フラットに魚の姿を探して歩く”サイトフィッシング”を誰しもが思い浮かべるだろう。
しかし夷谷氏の1匹目はそんな”ボーンフィッシュ像”とは”大きくかけ離れている”ものであった。
端的かつ失礼な言い方をさせてもらうと夷谷氏の”はみ出し具合”が絶妙だった。
そしてほどよく誉め言葉を使えば、フライフィッシングへの探究心と好奇心が幸運をもたらした。
人類史において新たな価値観やスタイルが生まれる時、ひいては革命が起こる瞬間に逆境やピンチがあったことは枚挙に暇がない。
無論それは生死を分けるような社会的局面、しかも成功のみが”歴史”として残っているわけであるが趣味の世界でも同様のことが起きていると思う。
海外への遠征が物理的にできなくなったコロナ禍。
旅行代理店業を生業とする夷谷氏にとっては逆境以外の何物でもなかっただろう。
ビジネスのことはもちろん、いちアングラーとしても大きなピンチであったはずだ。
そんな中で目をつけたのが目の前の海”東京湾”だった。

この作品の中では私は夷谷氏にお話を伺っている。
私を含め、いい歳こいたおじさんが夢を語り目を輝かす。
俗な言い方をすれば
中二病をこじらせた末期症状の大人。
趣味だもの、大いに健全な在り方だと思う。
フライフィッシングとそれ以外の釣りの違いをロジカルに考えてみると、フライフィッシングは
”垂直方向の釣りに極めて弱いこと”が浮き彫りになる。
しかし全国いや全世界の”ちょっとはみ出した”フライフィッシャーたちは深い場所にも手を出し始めていた。
日本においては中禅寺湖がその象徴とも言える。
レイクトラウトを狙ったボートフィッシングに代表されるように、シンキングラインをつぎはぎし
”あ〜でもない” ”こ〜でもない”と試行錯誤を繰り返しながら、水深20mの世界をフライフィッシングフィールドに変えてきた。
そんな釣りを夷谷氏は東京湾に持ち込んだのだ。
その探究心が結果として徳之島のボーンフィッシュに繋がった。s
ゼロとイチの間には数学的には無限大の差がある。
しかしゼロの中にも、無数の変数が隠れているという数学やAIではありえないことが起こるのが人間であり魚釣りだ。
だからこそ釣りは面白い。
この”たった1匹”がもたらしたものは、とてつもなく大きい。。


東京湾でのディープフライフィッシングでは、最深40mも視野に入り始めている。どんなシステムが良いのか?どんなフライが良いか?それ以前に、どうやって船を流し、地形に当てていけば良いのか?わからないことだけだ。試行錯誤しているうち、様々な魚が釣れていくるからたまらない。



現代的な”手がかり”
夷谷氏の1匹は、私を含め多くのフライフィッシャーにとっての今後の”手がかり”である。
しかし夷谷氏自身が、この1匹にたどり着く”手がかり”は実に意外なものであった。
それは夷谷氏の釣友が見つけてきたとあるYouTube映像。
そこに映し出されていた映像を見て、衝撃を受けないソルトウォーターフライフィッシャーはいないだろう。
そして何より、可能性を感じるはずだ。
私が最も可能性を感じた点を作品の中で語っているが、私もこのYouTube映像を見た瞬間に”釣れる”と確信した。
ここで言う”釣れる”は決して一度の釣行ではなく”何度か通うことで”だ。
釣りは人生を通じて楽しむ嗜みだと思っている。
1日の釣行で釣れなかったとしても、大した問題ではない。
それはやがて訪れる”歓喜へのコマセ”のようなものだ。
だからこそ、コマセは闇雲に打ってはならない。
道筋を定め、無駄打ちをしてはしてはならないのだ。
本作のキーワード人物は、間違いなくこのYouTube動画を投稿した、投げ釣りYouTuber”ふぐ名人”さん。
YouTubeが手がかりになるとは、とても現代を象徴していると思う。
私はアポイントを取り、勝手にフライフィッシャー代表をしてフライフィッシングにフィードバックできそうなお話を聞いた。
ふぐ名人さんへのインタビュー。
想像が膨らみとても楽しい時間となった。
皆さんは本作の中で語るふぐ名人さんのお話に何を感じたか?
何かの機会でぜひ感想を聞かせていただきたい。


サイトへの道標
仮説を立て、そこに向かって情報を育てていく様は、科学の実験と似ている部分がある。
釣りにおいては”夢の原石”とも言える”仮説”をどれだけ信じ続け
最終的に輝きを持たせられるかは、最初の一歩にすべてがかかっていると思う。
私はそれをTOKYO FLATのキビレに学んだ。
その勇気がいる一歩を踏み出したからこそ夷谷氏に幸運が訪れた。
ふぐ名人さんの映像から仮説を立て、至極の1匹に出会った夷谷氏。
私はそれを次のステップへと進めかった。
多くのアングラーを巻き込みながら、理想とする<サイトフィッシング>への道を、ゆっくりと着実に進めていきたい。
私は”ウェーディングで” ”フローティングラインで” ”ブラインド”でも良いから釣りたいと思った。
TOKYO FLATの開拓の時は、私はサラリーマンであり小さな子供を抱えていた。
家庭の平和を考えると、長期間家を空けることは避けたかった。
あの頃の私のステージでは”短時間で回数を重ねる”ことが大切であり、だからこそ週末の4時間だけを泥遊びに費やした。午前中に泥遊びを済ませ、昼からは家族の時間を楽しんだ。
だから5年も掛かったわけだが、微塵の後悔もない。
泥遊びの全てが、良い経験だ。
人生のステージは刻々と変わる。身の丈にあった”楽しみ方”が必ず存在するものだ。
TOKYO FLATとは異なり回数を重ねることが難しい南の島で、着実に駒を進めるには飛車・角が必要だと考えた。
これまでの釣り経験や取材経験を活かし、フライフィッシャーとしては”禁断”とも言える作戦に出た。
それは邪念を振り払うためにも必要だったのだ。
本作の中で出てくる私の2回目の徳之島チャレンジ初日。
”禁断の策”の一投目で結果が出る。
この1匹は私に揺るぎない自信をもたらした。
ブラインドの釣りは”信じられる要素”が何より大切だ。
"禁断の策"も自らがこれまでの人生で得てきた経験。
それを持って次のステージに駒を進められることは、精神衛生上この上ない。
”見えているブラインド”に集中できる。

撮影:阪東幸成(ふらい人書房)
徳之島は"釣り荒れていない"と感じた。
浅場はトレバリーの狩場でもある。
ボーンが泳ぐ海だけに、
ヒットする度にドキドキする。
そして
”なんだ、アジか〜”
と、がっかりする贅沢な釣り場
